この記事を読めば毎年5月31日が「タイタニック進水式の日」とされている理由と、その日に何が起きたのかが丸ごとわかります。
タイタニックと聞けば、誰もが沈没事故を思い浮かべますよね。
でも、この船が最初に海に触れた瞬間。進水式の日のことは意外と知られていないんです。
実はその一日には映画では描かれなかった興味深い話がたっぷり詰まっていて、調べれば調べるほど「へえ」が止まらなかったです。
5月31日とタイタニックの関係
なぜ5月31日がタイタニック進水式の日として語り継がれているのかを解説します。
1911年5月31日に何があったのか
1911年5月31日、英国・北アイルランドのベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ造船所でタイタニック号の進水式が執り行われました。
当日はラガン川沿いに約10万人もの見物客が押し寄せ、文字通り街をあげてのお祝いムードだったみたいです。
進水式が行われたのは、スリップウェイ(進水用傾斜台)第3番。午前12時5分に最初のロケット花火が打ち上げられ、12時10分に2発目、そして12時13分にタイタニックは自らの重力でゆっくりと海へ滑り出しました。
その全工程はわずか62秒。最高速度は12ノット(時速約22km)に達したとのこと。数万トンの鉄の塊が、その日初めて水に浮いた瞬間です。
翌日のアイルランドの新聞「Irish News and Belfast Morning News」は、「アイルランド人の知力と勤勉の結晶」と誇らしく報じたそうです。
ちなみに、同じ日の午後にはタイタニックの姉妹船オリンピックがベルファストを初めて出港し、処女航海へ向かっています。
一日で二つの歴史が動いた日、なんですよね。
進水式の裏側に潜む意外な事実
タイタニックの進水式がいかに「異例」だったかに迫ります。知っているようで知らない話です。
シャンパンは割られていなかった
進水式といえばシャンパンの瓶を船首に叩きつけて割るシーン。映画や絵本でもおなじみの光景ですよね。ところが、タイタニックの進水式ではシャンパンは一切割られていません。
ホワイトスターライン(タイタニックを運営していた海運会社)には、進水式でシャンパンを割る慣習がなかったんです。
「神様、タイタニックと乗客全員を祝福してください」という祈りの言葉も、公式には一度も言われていないとされています。
後にこのことが「だから沈んだ」という迷信と結びついていったわけで、個人的にはちょっと怖いなと感じています。
進水式でシャンパンが割れないとその船に不幸が訪れるという言い伝えは、ヨーロッパの船乗りの間では今も根強く残っているそうですから。
進水式と竣工式は別物だった
ここ、意外と混同されがちなポイントです。「進水式」は船が完成した日ではありません。
1911年5月31日の時点ではタイタニックはまだ船体(外殻)が完成したに過ぎず、客室や機関室、あの象徴的な4本の煙突はまだついていませんでした。
進水後に別のドックへ曳航されてから内装工事や機器の搭載が始まり、タイタニックが正式に完成したのは1912年3月31日のことです。
つまり進水式から竣工まで約10ヶ月かかっているんですよね。
進水式はいわば「鉄の船体が初めて水に触れる瞬間」であり、誕生のお祝いというよりは「本格的な仕上げ作業のスタート」に近い意味合いです。
タイタニック号の建造の歴史
進水式に至るまでの建造の歩みを時系列でたどります。
ホワイトスターラインの野望から始まった
タイタニック建造の発端は、1907年。
英国の海運会社ホワイトスターラインがライバル会社のキュナード・ラインに対抗するため、「速さではなく、豪華さと大きさで勝負しよう」という方針を打ち出したことにあります。
その結果、オリンピック・ブリタニック・タイタニックという3隻の姉妹船を建造する計画が始まりました。
建造を担ったのは北アイルランド・ベルファストの老舗造船会社ハーランド・アンド・ウルフ。当時約15,000人の労働者が携わったとされています。
タイタニックの起工は1909年3月31日でそれから約2年2ヶ月が経って進水式を迎えたことになります。
当時世界最大を誇ったスペック
進水時のタイタニックの船体重量は約24,360トン。
竣工後の総トン数は46,328トン、全長269メートル、幅28メートル。二重構造の船底と15の防水区画を備え、「4つの区画が浸水しても沈まない」と設計されていました。
この圧倒的なスペックが、かえって「沈まない船」という過信を生んだとも言われています。
進水式から沈没まで
進水式の翌年に何が起きたのかを簡潔に整理します。
初航海と悲劇
1912年4月10日、タイタニック号は英国サウサンプトン港を出発。フランスのシェルブール、アイルランドのクイーンズタウンを経由してニューヨークへ向かいました。船には2,224人の乗客と乗員が乗っていたとされています。
しかし出航から4日後の1912年4月14日の夜、北大西洋で氷山に衝突。
翌15日の午前2時20分に沈没しました。
犠牲者は約1,514人にのぼり、当時の海難事故として最大の死者数でした。進水式からわずか約11ヶ月後のことです。
進水式の文化と歴史的な意味
進水式という儀式そのものの由来と歴史を掘り下げます。
なぜ船にシャンパンを割るのか
進水式でシャンパンを割る慣習のルーツは実はかなり古い。
もともとバイキングの時代には航海の安全を祈って生きた奴隷を生け贄に捧げる風習があったとされています。
それがローマ時代になって「血の代わりに赤ワインを船に投げつける」形に変わり、18世紀以降に白ワイン、やがてシャンパンへと変化していきました。
ちなみに、シャンパンを使うようになった背景の一つとして、19世紀初頭のイギリス皇太子が軍艦の進水式で女性にワインの瓶を叩きつけさせたことが広まったという話もあります。
現在ではお祝い行事全般のイメージが強いシャンパンが自然と選ばれるようになったということでしょう。
まとめ 5月31日に覚えておきたいこと
- 1911年5月31日、タイタニック号の進水式がベルファストのハーランド・アンド・ウルフ造船所で執り行われた
- 約10万人の見物客が集まり、62秒で船体が海へ滑り出した
- シャンパンは割られず、命名の儀式もなかった──ホワイトスターライン独自の方針による
- この日はあくまで「船体完成の瞬間」であり、竣工は約10ヶ月後の1912年3月31日
- 進水式から約11ヶ月後の1912年4月15日、タイタニックは北大西洋に沈んだ
5月31日はタイタニックにとって「初めて海に触れた日」。世紀の悲劇を生んだ船の、まぎれもない誕生の日なんですよね🚢
コメント