7月17日は「東京の日」なんですけどこの記事を読めば由来から知られざる歴史の裏側まで、まるごと理解できちゃいます。
江戸がどうして東京に変わったのか名前の意味って何なのか、意外と知らない人も多いんですよね。
歴史の授業でちらっと聞いたことはあっても詳しく説明できる人は少ないと思うので、今日はじっくり掘っていきますね。
東京の日とはどんな記念日なのか
東京の日が何を記念しているのかをざっくりつかんでもらえたらと思います。
制定された日付と意味
東京の日は毎年7月17日に設定されていてこれは1868年の慶応4年7月17日に、江戸が「東京」へと改称されたことを記念する日なんです。
ちなみに旧暦のこの日は新暦だと1868年9月3日に相当するそうです。つまり暦の計算がちょっと複雑で、当時の日付感覚と今の私たちの感覚はズレているってことなんですよね。
正式には「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」という詔書が発布されたことがきっかけで、明治天皇が江戸で政務を執ることを宣言しつつ、地名も東京に変えるという内容だったみたいです。
なんか、たった一枚の詔書で都市の名前が変わっちゃうって今考えるとすごい話ですよね。
都民の日との違い
似たような記念日で「都民の日」というのもあるんですがこちらは別の由来を持っていて、東京の日とは意味合いが異なります。
東京の日は「東京という地名が生まれた日」を祝うもので、都民の日は東京都という行政区分の歩みを振り返る日とされているみたいです。
ここ、混同している人がわりと多い印象があるので記事を読んでいる方はぜひ区別しておいてほしいなと思います。
江戸から東京へ改称された理由
ここではなぜ江戸ではなく「東京」という名前が選ばれたのか、その背景を見ていきますね。
東の京というシンプルな発想
東京という名前は「東の京(みやこ)」という意味からきていて、当時の首都だった京都から見て東にある都、という発想で名付けられました。
西の京都に対して東の京、だから東京。
すごくシンプルな発想だなと個人的には思いました。でも、シンプルだからこそ分かりやすくて、定着しやすかったのかもしれないですね。
正式な詔書の中では江戸が東日本の大都市であり、東西南北の物資が集まる場所だから天皇が政務を執るのにふさわしい、という理屈も記されていたようです。
要するに地理的な利便性と象徴的な意味の両方が重視されたということでしょうか。
戊辰戦争と江戸城無血開城
実はこの改称、平穏な状況で行われたわけではなくて、当時はまだ戊辰戦争の最中でした。旧幕府軍と新政府軍が全国で戦っていた、けっこう不安定な時期だったんです。
ただ、江戸城については旧幕府と新政府の間で和平交渉が行われて無血開城というかたちで新政府側に明け渡されたので、江戸の市街地を巻き込んだ大規模な戦闘は避けられたんですよね。
この交渉で大きな役割を果たしたのが明治維新の立役者として知られる西郷隆盛だったそうです。上野公園の銅像、見たことある人も多いんじゃないでしょうか。
読み方や首都機能の変化の歴史
東京という名前が今の読み方に定着するまでの過程や首都としての歩みを見ていきますね。
「トウケイ」と呼ばれていた時代
驚くかもしれないんですが東京と改称された当初は「とうきょう」ではなく「とうけい」と読まれることも多かったみたいです。
読み方が特に統一されていなかったので混在していたんですよね。
その後、国語の教科書で「東京」に「トーキョー」というふりがなが振られるようになって、ようやく読み方が定着していったそうです。
個人的には地名の読み方すら決まっていなかったという事実がなかなか興味深いなと感じました。
遷都から東京都成立までの流れ
詔書が発布されたのは1868年ですが実際に明治天皇が東京に移り住んだのはその年の10月13日だったという記録もあります。
しかも即位の礼が行われたのは8月27日で、詔書発布よりも後だったんですよね。
つまり、名前が先に決まって実質的な移動や制度の整備は後から追いついていった、という順番だったわけです。ちょっと話題先行だったんじゃないかという見方もあるみたいですね。
そして名実ともに東京が首都として確立されたのは、廃藩置県が行われた1871年(明治4年)だとされています。
さらに呼称も「江戸」→「東京府」→「東京市」と変化していって、現在の「東京都」という名称になったのは太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、東京府と東京市が統合されたタイミングだったんです。
以下の表で、東京の呼称の変遷を整理してみました。
| 時期 | 呼称 | 出来事 |
|---|---|---|
| 江戸時代(1603年〜) | 江戸 | 徳川家康が幕府を開き政治の中心地に |
| 1868年7月17日(旧暦) | 東京府 | 詔書により改称、首都機能が移る |
| 1871年 | 東京府 | 廃藩置県により名実ともに首都化 |
| 1943年 | 東京都 | 東京府と東京市が統合 |
| 1947〜1948年頃 | 東京都23区 | 区の再編で23区体制が確立 |
現在の東京23区に至るまでの区割りの変化
最後に地名だけでなく行政区分としての東京がどう変化してきたのかを見てみますね。
15区から23区への再編
1889年(明治22年)の時点では、東京にはまだ15区しかなかったそうです。
今の23区のイメージからすると、けっこう少ない印象を受けますよね。
その後、区の統合や再編が進んで1947年から1948年(昭和22〜23年)にかけて現在のような23区体制になったとされています。
正直なところ、この区の変遷については資料によって記載の細部が少し異なる部分もあるので、詳細な年数については自分の見立てとしては幅を持たせて理解しておいた方がいいかもしれません。
とはいえ、大まかな流れとしては15区から段階的に増えて23区に至ったという点は複数のソースで一致しているので、信頼できる情報だと思います。
東京の日をきっかけに歴史を振り返る意義
こういう記念日って正直普段はほとんど意識しないと思うんです。
でも、こうして由来を調べてみると、たった一つの詔書から始まった改称が、150年以上経った今も私たちの暮らす街の名前として残っているというのはなんだかしみじみするものがありますよね。
東京の日をきっかけに自分が住んでいる街や働いている街の成り立ちに少し目を向けてみるのも、けっこう面白い体験になるんじゃないかなと思います。
まとめ
東京の日についてポイントを整理しておきますね。
- 7月17日は1868年(慶応4年)に江戸が東京に改称されたことを記念する日
- 名前の由来は京都から見て東の京という発想から
- 改称当初は「とうけい」と読まれることもあった
- 名実ともに首都となったのは1871年の廃藩置県
- 「東京都」という名称になったのは1943年、東京府と東京市の統合がきっかけ
- 23区体制は1947〜1948年頃に確立

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