歌いつなぐ日について知りたい方はこの記事を読めば由来から歴史的背景、そしてどんな広がりを見せていくのかまでまとめて理解できると思います。
防災週間のニュースで見かけて「なんだろう」と気になった方も、震災学習に関わるお仕事の方も、きっと納得できる内容になっているはずです。
歌いつなぐ日の基本情報
まずはこの記念日がどんな団体によってどういう目的で作られたのかを整理しますね。
制定した団体と目的
歌いつなぐ日は兵庫県神戸市にある神戸親和大学が制定した記念日です。
目的は1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の記憶と教訓を、次の世代へと受け渡していくことなんですね。
震災を直接経験していない世代がどんどん増えている今、体験談だけでなく歌という形で想いをつなぐ試みは、けっこう意義があるやり方だなと感じます。
日付が8月30日になった理由
日付の由来は二つ重なっています。
一つは防災週間、つまり8月30日から9月5日までの期間の初日にあたること。
もう一つは2025年8月30日にノエビアスタジアム神戸で「しあわせ運べるように」の大合唱が行われたことです。
実はこの日、震災から30年という節目と8月30日という「30」の数字が偶然重なっていて、神戸親和大学のニュースリリースでも「30年と30日が偶然重なりました」と紹介されているんです。
数字の巡り合わせって、こういうところで意味を持つんだなとちょっと驚きました。
しあわせ運べるようにの誕生秘話
記念日の中心にある合唱曲がどうやって生まれたのかをお伝えします。
作詞作曲した臼井真さんの体験
「しあわせ運べるように」を作詞作曲したのは当時神戸市立吾妻小学校の音楽教師だった臼井真さんです。
臼井さん自身も阪神・淡路大震災の被災者で、神戸市東灘区にあった自宅は全壊してしまったそうです。
震災から約2週間後、テレビで見た三宮の変わり果てた姿に心を痛め、その場の想いをメモ用紙にわずか10分で書き上げたと語られています。
10分という短さに、正直けっこう驚きました。
頭で考えて作った歌詞ではなく湧き上がってきた感情そのものだったんだろうなという気がします。
避難所で初めて歌われた日
この歌が初めて公の場で披露されたのは震災からおよそ1カ月後のことでした。
当時勤務していた小学校は避難所になっていて、無事だった子どもたちが避難している方々への贈り物として歌を披露したそうです。
ある避難者の方が涙を流しながら
「この世に音楽の神様がいるとしたら、きっと今そばで聞いていてくださいますよ」
と伝えたという話が残っていてこの場面は記事を書いていても胸に来るものがありました。
神戸市の歌としての位置づけ
「しあわせ運べるように」は神戸市内の小学校や震災追悼式典、神戸ルミナリエ、成人を祝う会などで歌い継がれています。
2021年には神戸市の二つ目の市歌として正式に指定されました。
国内だけでなく、各国の被災地で歌詞が翻訳されて歌われているとも紹介されていて、神戸で生まれた一曲が想像以上に遠くまで届いているんだなと感じます。
ヴィッセル神戸と震災のつながり
ここではなぜサッカークラブが震災の記念日に関わっているのかを説明していきます。
1995年に誕生したクラブの運命
ヴィッセル神戸は1995年1月1日に正式に始動したクラブです。
ところが、チームの初練習を予定していたまさに1月17日の朝5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。
前身の川崎製鉄水島サッカー部が神戸に移転してきた直後の出来事で、練習拠点を一時的に岡山県倉敷市に切り替えて活動をスタートさせたという経緯があります。
始動初日に震災という、なんとも重い巡り合わせだなと思います。
街とともに歩んだ30年
以来ヴィッセル神戸は「Kobe Forever Forward」の精神を掲げ、神戸の街と人々に寄り添いながら歩んできたクラブです。
2025年は震災からちょうど30年の節目にあたり、クラブ公式でも震災の怖さや教訓を風化させないという声明を出しています。
教育機関である神戸親和大学とスポーツクラブであるヴィッセル神戸、この二つが手を組んで歌をつなぐという発想はなかなか珍しい組み合わせだと感じますし、だからこそ記念日としての説得力があるのかもしれません。

2025年ノエビアスタジアムでの大合唱
記念日の直接のきっかけとなった出来事を詳しく見ていきます。
試合前セレモニーの様子
2025年8月30日、ノエビアスタジアム神戸で行われたヴィッセル神戸対横浜F・マリノスの試合前に、「しあわせ運べるように」の合唱が披露されました。
この合唱は曲の作詞作曲者である臼井真さん本人が指揮を執り、臼井さんのゼミ生や親和中学校・親和女子高等学校コーラス部の生徒たちが参加したと伝えられています。
スタジアムに響く合唱を聞いた観客の方の中には、震災を実際に経験した世代もいたでしょうし、生まれていなかった世代もいたはずですよね。
世代をまたいで一緒に歌う場面は記念日の目的そのものを体現していたんじゃないかなと思います。

作曲者の急逝という重い巡り合わせ
ここで一つ、この記念日を語るうえでどうしても触れておきたい出来事があります。
臼井真さんは2026年7月11日までに神戸市内で急逝されました。享年65歳でした。
神戸親和大学教授として教壇に立ちながら、次世代への継承活動を続けていた最中の出来事だったんですね。
歌いつなぐ日が制定された背景にはこうしてご本人がまさに命をかけて取り組んでいた継承の想いがあったんだなと、あらためて重みを感じます。
臼井さんが作った曲は400以上にのぼるそうですが、その中でも「しあわせ運べるように」は代名詞と呼ばれる存在になっていました。
だからこそ、この歌をこれからも歌いつないでいくことの意味は以前よりさらに大きくなっていると言えるかもしれません。

歌いつなぐ日から考える震災継承の形
この記念日がこれからの震災継承にどう関わっていきそうかを考察してみます。
ここは私の見立てが入る部分なのであくまで一つの考え方として読んでもらえたらと思います。
教育とスポーツが連携する意義
震災の記憶を伝える手段としてこれまでは学校教育での語り継ぎや資料館での展示が中心だったように思います。
そこに歌という感覚的な媒体、しかもスポーツの現場という日常的に人が集まる場所を組み合わせたのは、わりと新しいアプローチだなと感じます。
1万人規模が集まるスタジアムで一斉に歌う体験は教室で聞く話とはまた違う種類の記憶として残るんじゃないでしょうか。
広がりへの期待
この記念日が今後どこまで社会に浸透していくかは正直分からない部分もあります。
ただ、臼井真さんが亡くなられたという出来事を踏まえると、これからは「作った人の想い」を伝える役割も、この記念日がより強く担っていくのかもしれないなと感じています。
8月30日という日付を目にしたときに震災の記憶とこの歌のことをふと思い出す人が増えていったら、それこそが制定した側の願いに近づいていくのかなと思います。
まとめ
- 歌いつなぐ日は神戸親和大学が制定した記念日で8月30日にあたる
- 目的は阪神・淡路大震災の記憶と教訓を次世代へつなぐこと
- 合唱曲「しあわせ運べるように」は臼井真さんが震災2週間後に作詞作曲した
- ヴィッセル神戸は震災の年に誕生し、神戸の街と歩んできたクラブである
- 2025年8月30日にノエビアスタジアム神戸で行われた大合唱が記念日制定の直接のきっかけ
- 作詞作曲者の臼井真さんは2026年7月に65歳で急逝している
この記念日をきっかけに、「しあわせ運べるように」という歌そのものにも改めて触れてみると震災の記憶がより身近なものとして感じられるかもしれませんね。
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