9月13日は「世界法の日」って知っていましたか。
この記事を読めば世界法の日がいつどうやって生まれたのか、その由来や歴史的な背景、そして現代における意味まで、しっかり理解できると思います。
ニュースやSNSで見かけて「これって何の記念日なんだろう」と気になった方、法律に関わる仕事をしていて由来を正確に押さえておきたい方には、けっこう役立つ内容になっているはずです。
世界法の日とは何か
まずはこの記念日がどういうものなのか基本のところから押さえていきますね。
9月13日に制定された国際的な記念日
世界法の日は国際社会において法の支配を確立し、世界平和を実現することを目的として定められた記念日です。
日本国内でも「今日は何の日」として紹介されることが多いんですが、実はこれ、日本発というより国際的な会議の積み重ねから生まれたものなんですよね。
似たような名前で「法の日」という記念日も日本にはありますが、あちらは1960年に閣議了解で定められた10月1日の国内向けの記念日で、成り立ちがまったく別物です。
今回はあくまで9月13日の「世界法の日」について、深く掘り下げていきます。
法の支配によって平和を目指すという理念
この日が目指しているのは力による支配ではなく法による秩序です。
国と国との間でも個人と個人の間と同じように、共通のルールに基づいて物事を解決していこうという考え方なんですね。
1965年にこの日を宣言したアメリカのジョンソン大統領も、署名式のスピーチのなかで「正義に基づいた平和な世界」への願いを込めて、この日を制定したと語っています。
単なる形式的な記念日というより、当時の国際情勢に対する強い危機感から生まれた日だったんだなと資料を読んでいて感じました。
世界法の日の由来と制定までの流れ
ここでは世界法の日がどんな経緯をたどって正式に定められたのか、時系列で整理していきます。
1961年東京会議での提唱
すべての始まりは1961年、昭和36年に東京で開かれた「法による世界平和に関するアジア会議」でした。
この会議で「世界法の日」を制定しようという提案がなされたんです。
日本が国際的な法秩序を考える議論の出発点になっていたというのは、正直あまり知られていないんじゃないでしょうか。
個人的にはこの会議が東京で開催されていたという事実がけっこう印象的でした。
1963年アテネ会議での可決
東京会議から2年後の1963年、昭和38年にはギリシャのアテネで「法による世界平和第1回世界会議」が開催されます。
ここで東京会議の提案が正式に可決されたんですね。
提唱から可決まで2年かかっているというのは、それだけ国際的な合意形成に時間と手間がかかったということだと思います。
1965年ワシントン会議での正式宣言
そして1965年、昭和40年の9月13日から20日にかけて、アメリカのワシントンD.C.で「法による世界平和第2回世界会議」が開催されました。
この会議の開幕日である9月13日を「世界法の日」とすることがここで正式に宣言されたわけです。
この第2回世界会議にはなんと121カ国から3,200人もの人が集まったという記録が残っています。
冷戦のさなかにこれだけの規模で法律家や政治家が一堂に会したというのは、当時としてはかなり異例のことだったんじゃないかなと思います。
ジョンソン大統領による正式な布告
見逃せないのが当時のアメリカ大統領リンドン・B・ジョンソンが、この日をアメリカの国内でも正式に「World Law Day」として布告したという事実です。
1965年9月13日、ホワイトハウスのローズガーデンで布告書に署名した際のスピーチが記録として残っていて、そこでジョンソン氏は
「単一の記念日を祝うだけで理想の世界が実現するわけではないが、共に一日を捧げることで、正義に基づいた法治の世界が夢物語ではないと思い出させてくれる」
といった趣旨のことを述べています。
この演説、実際に読んでみると当時のアメリカが国際協力年として法の支配の強化に本気で取り組もうとしていた空気が伝わってきてなかなか重みのある内容でした。
なぜ9月13日という日付が選ばれたのか
日付の由来がわかるとこの記念日への理解がぐっと深まると思います。
会議の開幕日がそのまま記念日になった
9月13日という日付そのものに、特別な出来事があったわけではありません。
1965年のワシントン世界会議の初日がたまたま9月13日だったので、その日がそのまま記念日として定着したというのが実際のところです。
象徴的な事件や偶然の一致があったわけじゃなく、あくまで会議のスケジュールに由来しているんですよね。
ここは憶測ではなく複数の資料で一致して確認できる事実です。
制定までに4年かかった段階的なプロセス
1961年の提唱から1965年の正式宣言まで、実に4年の月日が流れています。
東京、アテネ、ワシントンと、3つの異なる都市で段階を踏んで国際合意が積み上げられていった過程は、法律や国際関係の分野でよくある
「一気に決まるのではなく、少しずつ合意を広げていく」
やり方の典型例だと言えそうです。
国際的なルールづくりってこういう地道な積み重ねでしか前に進まないものなんだなと、あらためて感じさせられますね。
世界法の日が生まれた時代背景
なぜこの時期にこうした記念日が必要とされたのか、当時の国際情勢を踏まえて考えてみます。
冷戦下における国益優先の風潮への危機感
1960年代前半という時代は東西冷戦の緊張が高まっていた時期です。当時の国際社会では国と国との関係において「国益による支配」が優先されがちな風潮が強まっていました。
こうした状況を憂慮した各国の法律家や政治家たちが力による対立ではなく法によるルールづくりを進めようとしたことが、この記念日が生まれた大きな背景になっているんですね。
核戦争の脅威が現実味を帯びていた時代だからこそ、法の支配という理念が切実に求められていたんだろうなと思います。
アメリカ法曹協会など国際組織の関わり
ワシントン会議の運営にはアメリカ法曹協会(American Bar Association)の関係者も深く関わっていました。
ジョンソン大統領の署名式には当時のアメリカ法曹協会前会長でサザン・メソジスト大学法科大学院長を務めていたロバート・ストーリー氏も出席していたことが公式記録に残っています。
法律の専門家だけでなく、最高裁判事や司法長官といった要人も参列していたようで、単なる記念行事というより国家的なイベントとして扱われていたことがうかがえます。
世界法の日の現代における意義
この記念日が今の時代にどういう意味を持つのか、私なりの見方を整理してみますね。
国際法の役割が再び注目される時代
世界法の日が制定されてから国際法や法の支配というテーマは今もまったく色あせていないと感じます。
むしろ、気候変動問題やサイバー犯罪、国際的な紛争など一国だけでは解決できない課題が増えている今こそ、法による国際協調の枠組みが必要とされているんじゃないでしょうか。
あくまで私の見立てですが、こうした時代だからこそこの記念日の理念をあらためて振り返る価値があるように思います。
記念日をきっかけに法について考える機会に
9月13日という日を特別に意識して過ごしている人は、正直そう多くはないかもしれません。
ただ、こうした記念日の存在を知ることで普段あまり意識しない国際法や法の支配について、少し立ち止まって考えるきっかけになるんじゃないかなと思います。
交通ルールや契約のような身近な法律から、国際的な条約まで、私たちの生活は法によって支えられている部分がけっこう多いんですよね。
まとめ
世界法の日について由来から現代の意義まで振り返ってきました。
最後に要点を整理しておきます。
- 世界法の日は9月13日で国際社会における法の支配の確立と世界平和の実現を目的とした記念日
- 1961年の東京会議での提唱から始まり、1963年のアテネ会議での可決を経て、1965年のワシントン会議で正式に宣言された
- ワシントン会議には121カ国から3,200人が参加し、当時のジョンソン米大統領も同日を「World Law Day」として正式に布告した
- 日付そのものはワシントン会議の開幕日に由来しており、特別な事件があったわけではない
- 冷戦下で国益優先の風潮が強まる中、法による国際秩序を求める危機感から生まれた記念日である
- 日本の「法の日」(10月1日)とは成り立ちも目的も異なる、まったく別の記念日

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